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ブログ俳句会を開きます。

「キアゲハ」 ◎写真は「キアゲハ(黄揚羽)」です。これは卵から飼育して羽化させました。前回の「アゲハ」と似ていますが、羽の付け根がぼかしになっています。
 ☆ ブログ俳句会を開きたいと思います。 ☆ 
 皆が作り手で、皆が選者の俳句会です。
 どなたでも、御参加ください。
<要旨>
 投句内容 桜に関係のある俳句。
 投句句数 お一人三句まで。(一句でもOK)
 投句期限 4月7日
 投句方法 この下のcommentsをクリックし出てきたコメント欄で投稿してください。泰二のアドレスをご存知の方はEメールでも結構です。

 ◎全ての投句をまとめ、番号を付け、無記名で並べた「出句表」を4月8日、このブログに公表します。

 選句句数 お一人四句(選んだ句の番号をお書きください)。
 感想・批評 もし出来れば、選んだ句の感想・批評を、一句につき30字以内で添えてください。
 選句期限 4月12日。(このブログの最新記事のcommentsに御投稿ください。)

 ◎全ての選句をまとめ、このブログに高点順に並べて発表します。作者名(ブログ上の仮名)も添えます。感想・批評も評者名(同前)を添えて全て発表します。

<ブログ句会の御投稿はこの下のcommentsにどうぞ!>
※ ブログ句会に投句がお済みの方=白い鴉・狛犬・そよ風・黄水仙・ウーフ・うーむ・紅雨・土曜日・句猫・けいこ・青子・翔子の12氏です。
taiji-m * ブログ句会 * 09:44 * comments(13) * trackbacks(0)

季語の虚実

上の写真は、青虫(柚坊)から飼育して羽化させた揚羽蝶です。「揚羽蝶」は季語としては夏季です。
 句に使う季語はその時、実際にその場で見たものでなければ、いけないのでしょうか?
 皆吉爽雨は「写生の第一歩は、嘘を言わず正直に写すことだ。鴉が二羽いたら二羽と言うべきだ。句の面白さを狙って一羽とか三羽とかにするような己がはからいは捨てよ」と言います。
 一方、水原秋桜子は自作「濯ぎ場に紫陽花うつり十二橋」の現場を弟子が確かめに行って、額紫陽花があったという報告をしたことを、「自分にとって句の紫陽花が幻影であっても差し支えはないのだ」と評しました。森澄雄は自作「雁や胎中といふ山の村」について「実際に咲いていたのは撫子だったので、初案は『撫子や』だったが、『タイナカ』という地名とひびきが合わないので、『雁や』とした」と言っています。
 私自身は、このブログで言ってきたように「季語は一句のムードを決定するもの」と思っているので、その句の内容、その句に託する自分の思いに合う季語を選びます。例えその場に無かったものでも。
 「ボタン屋のボタンの数の夜長かな(泰二)」。 実際は昼間見た情景でした。


  △上記の句中の季語。「紫陽花」=夏。「雁」=秋。「撫子」=秋。「夜長」=秋。

◎投句、コメントは、この下の「comments」をクリックし、出てくるコメント送信用の画面に記入し、送信してください。

◎新しい方から投句がありました。
<投句・けいこさん>
A別れきて春夕焼けのほかは見ず
B春荒れや一合の米といでをり
C春塵を拭きつつ日差し拭いてをり
D草萌えや空にふんはり白くじら
E鳥帰るいつ止まりしか掛時計
<感想・泰二>
けいこさんの句、どれもすばらしいです。本格的にかなり長年俳句に取り組んでいらっしゃった方と思います。私は特にA・Bがいいと思いました。
A、季語「春夕焼」の働きで、別れた親しい方への愛惜の情がよく出ています。一つだけ欲を言えば、「は」は特に取り上げる気持ちを出す助詞なので、全体に情の強い表現の中では、少し押さえて「を」くらいにしたらと思います。
B、中七下五は他でも見たことのある表現です。しかし季語の「春荒れ」がいいです。物悲しい中に幾分の余裕があります。
C、床の春の埃を拭いているうちに、床の日差しの方に心が向いていたという、対象の飛躍が面白いです。しかし、この面白がり方は、理知に偏っているので、読者は心底共感とはなりにくいと思います。
D、中七下五は「雲」だと思います。そうすると「雲」を「鯨」に見立てた句ということで、その面白さだけで終わってしまいます。ひょっとすると本当に鯨かと思われるくらい断定的に詠んだらどうでしょうか。「ふんはり」は不要となるでしょう。
E、中七下五の「掛時計」は古いタイプのぜんまいを巻く振り子時計を連想させます。それと「鳥帰る」の取り合わせはいいですね。ただ「いつ止まりしか」という疑問の形は作者の気持ちを強く出してしまうので、「いつか止まりし」と状態を述べただけの形のほうが無難だと思います。
 いろいろ言いましたが、かなり贅沢な注文で、どれも元の句のままで、十分優れた句と思います。
taiji-m * 季語について * 16:16 * comments(3) * trackbacks(0)

「地虫出づ」

 これは今日、3月19日の写真と俳句です。庭草に水をやっていたら5cmほどの蜥蜴(カナヘビ)が出てきました。句の季語「啓蟄」はこのブログで、前にも出てました。そこでは、地虫が出てくること、またその季節、の意味でしたが、この句のように出てきた虫を指すのにも使います。「啓蟄」は別の言い方をすれば「地虫穴を出づ」「地虫出づ」。「蜥蜴出づ」という季語もあります。みな、春季です。

◎以下はcommentsの要旨です。全文は右サイドのrecent commentsから選んでクリックを!
<投稿・土曜日さん>
あっさりな句がお好みと拝読。比べると、私の句は脂のこびりつき。例えば「雪柳あまた愛人咲き誇る」です。「雪柳あまたの花のかたちかな」とでもすればいいのでしょうか。
<感想・泰二>
土曜日さんは脂の乗った句で完成を目指せばいいんじゃないでしょうか?それにしても、「あまた愛人」はムードに流れているように思います。
<追加・泰二>
脂っこい句と言えば、飯田蛇笏に「薔薇園一夫多妻の場を思ふ」「花びらの肉やはらかに落椿」があります。御参考までに。

<投句・白い鴉さん>
写真を見て一句!!
「蜥蜴出づ自我をむき出す石の上」
<感想・泰二>
中七は「自我むき出しに」の方が無難でしょう。それでも「自我・むき出し」は概念のまんま過ぎるのでは?


◎投稿は、ここの「comments」でなく、最新の記事(ブログの最初にある記事)の「comments」にお願いします。
taiji-m * - * 12:02 * comments(5) * trackbacks(0)

季語のオーラ

 季語はオーラを発します。そのオーラの光は、一句の隅々まで差し込み沁み込みます。写真の句を例に挙げて説明しましょう。
 「永き日の郵便局の老眼鏡」。 「永き日」 は春の季語で、晴れた日の午後ののんびりした気分があります。このオーラが射すので、「郵便局」は地元の顔見知りのアットホームな感じになります。「老眼鏡」も優しい心遣いの表れとして、気持ちのいいものになります。
 「よな降るや郵便局の老眼鏡」。季語を取り替えてみました。「よな」は黄砂です。中国大陸の砂漠からやってくる粉塵です。( 「よな降る」も春の季語です。)このオーラが射すと、「郵便局」は薄暗い違和感のある場所になります。「老眼鏡」もこれを掛けなければならない老いの憂鬱を表しているように感じられます。
 季語一つで、句の内容がこんなに変ってしまいます。これは季語のオーラのせいなのです。
<季語、昼と夜の長さ>
 「永き日」は春の季語で、「日永(ヒナガ)」「遅日(チジツ)」とも使います。冬は「短日(タンジツ)」「日短し」です。夏は「短夜(ミジカヨ)」「明け易し」で、秋は「夜長(ヨナガ)」「長夜(チョウヤ)」です。実際の昼夜の長さでなく、その前の季節からの変化を強く感じ取った名付け方ですね。

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<投句・そよ風さん>
「花馬酔木ぽんぽん菓子の音高く」
<感想・泰二>
「ぽんぽん菓子」は別名「ぽん菓子」「爆弾あられ」ですね。「馬酔木」花の粒々がぽん菓子を思い起こさせるところが面白いです。贅沢な希望を言えば、「高く」がちょっと説明くさいので、ここがなんとか解決出来るともっといいのですが・・・。

<投稿・そよ風さん>
ご指摘ありがとうございます。私も作った時から「高く」は気になっていました。
「花馬酔木ぽんぽん菓子の音空へ」ではどうでしょうか。
<感想・泰二>
俳句の定石として、「動詞を減らせ」というのは良く知られていますが、形容詞も減らせればその方がいいようです。「空へ」は上手い解決策と思います。


◎投稿は、ここの「comments」でなく、最新の記事(ブログの最初にある記事)の「comments」にお願いします。
taiji-m * 季語について * 18:23 * comments(5) * trackbacks(0)

季語は炊き込みの具

左の写真の句の季語は「啓蟄」 (春)です。啓蟄は冬篭りしていた地虫たちが出てくるという意味で、今の暦では三月六日になります。
 和食の達人野崎洋光さんの言葉。「油揚げとしめじを炊き込み御飯の具にする時、昆布・鰹節などの出汁は使いません。具から出汁がでるので、他の出汁は味の邪魔になります」
 俳句の季語もこれと同じだと思った。「長閑さや」とか「春の昼」と言ったら、もう「のんびり」の出汁が出ているのだから、「猫が伸びをした」とか「欠伸が出た」とか、他の出汁は味の邪魔になる。季語から出た出汁の味をすっきり生かしたいものだ。

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<投句・狛犬さん>
 「梅の花透かして見える奥座敷」
<感想・泰二> 
 季語の持っている性質を他の部分で説明する必要はありません。「梅の花」と言えば、間から透けて見える程度に咲くものというのは、読者に委ねていい部分です。この句では中七をもう一工夫してください。

<投句・うーむさん>
「沈丁花一枝分の幸ここに」
どんな時も、沈丁花を一枝活けると、あたたかい気持ちが広がります。
「春の野に息づく命幾億万」
春いっせいに命が芽生えます。この野原でさえ、どれだけの数の命があるのか、土の中にいる菌類、虫、コケ、植物、動物、最後に人、目眩がしてきます。
<感想・泰二>
前句、「ここに」が不明確です。「分」は説明くさいです。簡潔に明確に、例えば「一枝の幸活けにけり沈丁花」のように詠む工夫をしてみてください。
後句、「息づく命幾億万」は概念的・抽象的です。菌類から人間までは手を広げ過ぎでしょう。代表として「虫」を取り上げるくらいの方が、実体感があると思います。


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taiji-m * 季語について * 11:33 * comments(4) * trackbacks(0)

季語を使うと便利です。


 左の写真の句の季語は「柳の芽」 (春)です。

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<投句・狛犬さん>
「子を持ちし鴉は威嚇の声あげり」
<感想・泰二>
 「子を持ちし鴉」は間延びした言い方ですね。こういう時は季語を使うと便利です。夏の季語「親鴉」を使えば同じことを簡潔に言えます。さらに上手な季語の使い方があります。「木下闇」を使うのです。そして鴉が荒々しい声を出すと言えばいいのです。「木下闇」は夏の季語ですから、鴉の子育ては言わないでも表現されます。その上、「木下闇」で不気味な雰囲気も出せます。
 なお、「声あげり」は言葉がおかしいです。「(声)あぐる・あげる・あげし」などがいいでしょう。


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taiji-m * 季語について * 22:49 * comments(1) * trackbacks(0)

有名な俳句

 左の写真の句の季語は「春先」 (春)です。 
 狛犬さんから、「理屈っぽい句、説明的な句は良くないというけれど、一茶の『やれ打つな蝿が手を摩る足を摩る』や、千代女の『朝顔に釣瓶取られて貰ひ水』はどうなのか」という質問がありました。
端的に答えれば、「有名句、必ずしも名句ならず」です。両句とも、ごりごりの理屈っぽさの上、過度の擬人化、もっともらしい生物愛護と、申し分なしの月並調です。
 千代女の句は、虚子がラジオ放送で「つまらぬ句」と酷評し、千代女ファンの非難を浴びたにも拘らず評価を変えなかったことがありました。また、飯田龍太は「『朝顔に』だったら悪い月並俳句の典型だが、『朝顔や』と記した真筆があるそうで、これなら、『朝顔の咲いている朝、井戸水を汲もうとしたら釣瓶がない。若者の悪戯かしら。』という意味の句で、上等とは言えないがそれなりの句だろう」と言っています。
 大衆的に有名な句には、「分かり易い強調」という特徴があります。芭蕉作というでっちあげの「松島やああ松島や松島や」が典型的です。狛犬さんの挙げた二句にもそういうところがありますね。
 芭蕉の「もの言へば唇寒し秋の風」も、これは翁の真作ですが、悪しき有名句でしょう。
 虚子の「もの言ひて露けき夜と覚えたり」は、彼はそうは言っていませんが、芭蕉のこの句の尤もらしさ、理屈っぽさへの当て付けかもしれないと思われます。


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taiji-m * 俳句と理屈 * 00:22 * comments(0) * trackbacks(0)
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