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俳句と事実



左の写真は「ベニシジミ」、蜆蝶の仲間で、小柄な蝶ですが、翅を広げると美しい色合いです。


<俳句と事実>
 
このブログ(三月二十二日・「季語の虚実」)で、俳句は実際にあった事実だけを詠むべきものかを問題にしましたが、たまたま、ライブドアの俳句ブログで面白い話題を目にしました。
 

うーむさんの句「〜千の桜に見つめらる」について、琴々さんが「千の桜ってどんな意味ですか?」と質問し、うーむさんは「一房に10以上の花がついています。その房が100以上は木の下に入っている自分から見渡せます。」と答えています。
 俳句ってそんなに、事実を、あるがままに、伝えなくてはいけないものなのでしょうか?
「私の俳句にはフィクションはない」山口青邨。
「空に作ることをいましめています。」上田五千石。
こういう言葉を読むと、俳句は実際に見た景色をそのまま詠むものかと思ってしまいます。
しかし、そのお二人の作品を見ると、
「みちのくの雪深ければ雪女郎」山口青邨。
「もがり笛風の又三郎やーい」上田五千石。
というわけで、見たものそのまんまではないようです。
琴々さんの訊ねたのも「千の桜」のイメージ、ムードだったのでしょう。
また、うーむさんも上の言葉に続けて「千よりはるかに多いと思いますが、キリとゴロで千にしてみました」と言っているので、「千の桜」は実は「私をつつむ満開の桜」のつもりだったのでしょう
taiji-m * 俳句と事実 * 10:45 * comments(4) * trackbacks(0)

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コメント

その通りです。「私をつつむ満開の桜」というのを言いたかったのです。
どうも頭が悪くて、その場、即答というのが苦手であります。
琴々さんもそういうことを尋ねたかったのでしょう。

別件ですが、
ベニシジミ、上品な美しい蝶ですね。
顔とか体(正確な呼称が分からずすみません)が又愛らしいです。
撮影地はどちらなのでしょうか?

ツマグロヒョウモン、ナガサキアゲハ、いづれも友人から本来は南の蝶だが、昨年東京の街中で目撃したと聞かされていたので、どんな蝶なのかと思っていました。
鮮明な映像で見られてうれしいです。
先生のブログ、ご自身の俳句や俳句を巡る話題も勿論、
写真も楽しみにしています。

しかしこの温暖化、多くの生き物の命も、俳句の風物も失ってしまいそうで、不安です。
一個人には、一個人にできることをするしか、道はないのですが。。。
Comment by うーむ @ 2007/04/24 11:58 PM
うーむさんへ。
コメント、ありがとうございます。

ベニシジミの写真に限らず、私の写真の95パーセントは、自宅の敷地内の撮影です。原則として、カメラを外へ持ち出さないようにしています。理由はそうし始めると、写す対象が広がり、俳句をそっちのけにしてしまいそうな気がするからです。何かが面白くなると、自分をコントロールすることが、下手な人間なのです。何かに夢中になっていて、「また、返事をしない!」と、かみさんに叱られたりします。






Comment by 泰二 @ 2007/04/25 5:29 PM
うーむさんの文章がステキすぎるので、私は書きづらいですが一言お邪魔しました。

 崟蕕良」の歌が流行りましたので流行にあやかって
沢山の花をあらわす言葉として「千の桜」なのだろうか?

△修譴箸癲崟蕁廚箸亘瓦なった人を表したりするようなので(?)近くに墓地があるのだろうか。。。と
(ちなみに南阿蘇の一本桜はまわりには戦争で亡くなった人たちの墓地があるんですって)

こんなことをお尋ねしたのしたよ。
でも千より万の言葉で桜の素晴らしいことが良く分かりました。

  すみません柄にもなくお邪魔致しました・・・♪
Comment by 琴 @ 2007/04/28 12:39 PM
>泰二先生
先生がカメラを外に持ち出さない理由を知り、心打たれました。なんと求道的な。
それに比べ私の全てに関して、いい加減なことよ。

そして先生との共通点もありました。
私も、子どもや夫から「また、耳が無くなっているぅ〜」としばしば非難されております。


>琴さま
南阿蘇の一本桜とは、あの見事な一心行の大桜ですね。400年前の戦で命を落とした武士達の鎮魂のために植えられたとか。古くから日本人は桜と死を結びつける感覚を持ち合わせています。東京の千鳥ヶ淵の見事な桜も、第二次世界大戦の戦没者の御霊を慰めるため、植えられているのでしょう。何かで聞いたこともあるような気がしますが、今自分の身体で納得しました。

俳句は短いがゆえに、読み手に委ねられる分も多く、
他者が読み解くと作り手には想像だにしなかった受け取り方があったりして、とても面白いです。
何人かの人で一句を読む解くのも楽しいでしょうね。
(ちなみに句を作ったときは、,皚△眩瓦頭にはありませんでした。)

うーむ
Comment by うーむ @ 2007/04/29 10:41 PM
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