左の写真は「ベニシジミ」、蜆蝶の仲間で、小柄な蝶ですが、翅を広げると美しい色合いです。
<俳句と事実>
このブログ(三月二十二日・「季語の虚実」)で、俳句は実際にあった事実だけを詠むべきものかを問題にしましたが、たまたま、ライブドアの俳句ブログで面白い話題を目にしました。
うーむさんの句「〜千の桜に見つめらる」について、琴々さんが「千の桜ってどんな意味ですか?」と質問し、うーむさんは「一房に10以上の花がついています。その房が100以上は木の下に入っている自分から見渡せます。」と答えています。
俳句ってそんなに、事実を、あるがままに、伝えなくてはいけないものなのでしょうか?
「私の俳句にはフィクションはない」山口青邨。
「空に作ることをいましめています。」上田五千石。
こういう言葉を読むと、俳句は実際に見た景色をそのまま詠むものかと思ってしまいます。
しかし、そのお二人の作品を見ると、
「みちのくの雪深ければ雪女郎」山口青邨。
「もがり笛風の又三郎やーい」上田五千石。
というわけで、見たものそのまんまではないようです。
琴々さんの訊ねたのも「千の桜」のイメージ、ムードだったのでしょう。
また、うーむさんも上の言葉に続けて「千よりはるかに多いと思いますが、キリとゴロで千にしてみました」と言っているので、「千の桜」は実は「私をつつむ満開の桜」のつもりだったのでしょう。