写真はお隣の「スノーフレーク」。「トイレの裏に咲く花」と思ってた人もいるけれど、実は日向でも元気で、こんなに茂って沢山の花を着けます。
<合同ブログ句会、感想・意見のまとめ>
<柊さんから>
済みません。選句の番号を間違えました。
「☆31、大自然と卒業の組み合わせはよく見るが、未来への思いを感じた。(柊)」は実は39の選・評でした。御免なさい。
(参考)「31春の水急勾配の天主かな」
「39はるかなる山並みの紺卒業歌」
<杏さんから>
「14屋上にひとり涙の卒業子」
このままでは、淋しすぎると思います。「ひとり」か、「涙」のどちらか片方にしては?
「16白山や棚田に溢る春の水」
八目さんのご提案の「棚田たなだに」に賛成です。そうすれば、春水が上から下へ溢れる様子がよく出ると思います。
「30羽ばたきて鳥かがやかす春の水」
うららさんの御提案のうち「羽ばたける鳥輝かす」に好感です。
<狛犬さんから>
私の「43春水に飲み込まれたる蟻地獄」に対する疑問、拝見しました。
蟻地獄は乾燥したところにあることは確かです。
ところが私の子供の頃、我が家の縁の下で蟻地獄を見つけました。蟻を捕まえて喰うのを見ようと毎日楽しみに覗いていたのですが、ある時、付近のどぶ川が溢れて縁の下まで浸水し蟻地獄が綺麗になくなってしまいました。その時の落胆は未だに覚えています。
しかしこれは異例なことで余り一般的な現象でないことは確かですね。
それにしても俳句は難しい。余りに一般的なことを詠むと月並みな句と言われるし、また余りに特殊な事象を詠むと、想像しにくく、共感が得られなくなるわけですから。
<狛犬さんから>
皆さんの出句で、「蛇穴を出づ」が予想外に多かったのは意外でした。これだけの人が実際に「蛇穴を出づ」を見て知っているのでしょうか?
私の子供の頃は蛇が田圃や草むらにウジャウジャ居たし我が家の天井にも青大将が住み着いていました。しかし、蛇の穴などというものはついぞ見たこともありませんでした。
また、もし見ていないで詠んだとしたのなら、その想像力の凄さは私には及びもつかないことと思いました。
<世話人から>
「蛇穴を出て見れば周の天下なり・虚子」、これは確かに空想ですね。しかし、「蛇いでてすぐに女人に会ひにけり・橋本多佳子」は、おそらく実感でしょう。だが、実際に穴を出るのを見たのではなく、単に春の蛇を見た実感と思います。俳句では、春の蛇を想像を交えて穴を出てきたばかりの蛇として詠んでいるようです。「春の蛇」という季語がないのは、そのせいもあると思います。「蠅生る」「蜻蛉生る」も同様で、別に羽化を観察しなくても晩春の蠅・晩夏の蜻蛉をこう詠んでいるようです。
話は別ですが、想像力の鍛練も題詠の目的の一つです。
<うららさんから>
楽しい句会でした。とくに蛇の句は多彩でおもしろく読みました。